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天界での交わり


渓斎英泉『十開之図』より

画について

天女と天狗との交わりが描かれています。

「天人」というのは、天界に住んでいる者のことです。

絵の右上、登場人物として「てんにむ 天狗」と書かれています。

書き入れ原文

「十界のうち、こいつは知らで天人の部に画す」

天狗「てんとたまらぬ、そさまの器量、せめて狗賓(ぐひん)と思(おも)た一夜の情(なさけ)あるならい、有難山の天狗、木の葉天狗の数ならぬ身にかわりて枕のこのおれい」

天女「羽根ずくでは出来ません。迦陵頻(かりょうびん)のこぬうちに、早くし給え。エエモウ、いきづめだ」

*「そさま」=そなたさま

*「狗賓」=天狗の異名

*「迦陵頻」=迦陵頻伽(かりょうびんが)の略。人頭鳥身の天女。

中野愛梨コメント

コウモリみたいですが、天狗です。

絵師紹介:渓斎英泉

江戸時代後期に活躍した日本の浮世絵師。終生、酒と女を愛し、女郎屋の経営もしていた。また、宋・明の唐画を好み、書を読み耽ることが趣味であった。

美人画で名高い英泉だが、文筆家としても活躍し、数多くの春画と艶本(好色本)を発表した。北斎に先駆けて、日本で初めてベロ藍を用いた藍摺絵(あいずりえ)を描いた絵師でもある。また、名所絵(風景画)も知られており、歌川広重と合作の『木曽街道六十九次』では全72図のうちの24図を、英泉が描いた。
英泉の画風に学んだ絵師の一人に、歌川国貞がいる。国貞とは合作の錦絵があるほか、英泉が文を、国貞が絵を担当した艶本もある。
用いた画号は数種類ある。

寛政2年(1790年)、江戸市中の星ヶ岡に、下級武士の子として生まれる。6歳で実母を失ったのち、継母に育てられる。

12歳から狩野派の門下で画技を学ぶ。

15歳に元服を機に、安房国北条藩の水野忠韶の江戸屋敷に仕えるが、17歳のとき、上役と喧嘩沙汰となり、職を追われて浪人となる。狂言作者・初代篠田金治(後の並木五瓶)のもとで、狂言作者見習いとなる。

20歳で両親を亡くし、3人の妹を一人で養う身となる。水野家に仕える多くの血族からの支援を嫌い、狂言作者の道を断念。美人画で人気の浮世絵師・菊川英山の門人となり、英山宅の居候となって学ぶ。近所に住んでいた葛飾北斎宅にも出入りし、その画法を学び取っていく。

22歳、千代田淫乱の名で最初の艶本発表。以降ほぼ毎年、さまざまな隠号をもって人気の艶本を発表。傑作として知られる『春野薄雪』は、32歳当時の作品である。

39歳、江戸大火で家を失い、同年、縁者の保証倒れにも見舞われる。その後、根津の花街に移住し、女郎屋の経営を始める。

嘉永元年(1848年)、59歳で没。墓は杉並区高円寺南の福寿院にある。

英泉の錦絵作品は1700枚以上確認されているが。そのうち1200枚以上が美人画である。(歌川国貞の美人画枚数は1313枚。)
美人画のうち400枚以上は、吉原の遊女を描いたものであり、そのうち300枚以上に遊女名が記されている。遊女名記載作品は、吉原遊廓や遊女がスポンサーとして入銀していたと考えられている。

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